街のエッセイ
@ A B C
またひとつ失ってしまった――二十騎町の威風堂々たる古家への恋慕

牛込北町交差点近くにある小さな町二十騎町は、名前を聞いただけで歴史を感じる地名である。昨夜わたしは、「神楽坂まちの手帖」創刊一年を祝うため、パートナーの川口翡子さんと編集スタッフの中村方映さんをともなって二十騎町2-23にあるフランス料理店「ブッシュ・ア・ラ・モード」にいった。
タクシーをおりて暗い夜道をやっと店を探し当てたが、以前きたときと風景がちがっていた。店のまえにある黒々とした巨魁のように周囲に君臨していた木造家屋がないのである。いくらさがしても見当たらないのだ。
「どうしたのですか」
コックコートをきた矢島久シェフが店のまえでわたしたちを迎えるためにたっていた。
「だって、あの古い家が」わたしがことばに詰まりながらいうと、「あれはほんの2週間ほどまえにとりこわされました」という返事である。
タクシーのなかで、川口さんと中村さんにわたしは自慢気にいったのだ。
「これからいくレストランは料理もよいけれど、それ以上に店のまえにある古家がすばらしいんだ。この界わいでおそらくいちばん年代物だと思うよ。堂々とした風格があって、気品があって」川口さんも中村さんも町が好きである。ふたりのわくわくしている心臓の鼓動が、にとるように伝わってくる。それがない。
「たぶんマンションかなにかになるんでしょうか。ひとがふえてありがたい」矢島さんはそういった。
わたしも飲食店を経営しているのでその気持ちを理解できないわけではないが、そんなに正直に喜ぶこともできない。
牛込神楽坂一帯は、今次の世界大戦で町をあらかた焼いてしまった。神楽坂などは江戸情緒があるといってもほんの50年の歴史である。
その全面焼失のなかで奇跡的に焼けのこった家屋がいくつかある。若宮町の最高裁判所長官官舎、そのとなりの二階建て民家、そしてここ。
わたしは、それらのどこを通りがかっても「おい、元気でやっているか」と声をかけ、しばらくみとれる。
「おい」というのではない。「こんにちは。お元気ですか」という感情のほうが正確である。威厳ある老人にあいさつするようにである。
そういえばつい先だっても、若宮町でいちばん古い木造家屋が取り壊されてしまった。そのことを町内会長や古手の住民からきいたとき、わたしは取り返しのつかない気持ちに打ちのめされた。しかもそこは、下村湖人の名作「次郎物語」の舞台になったところだときいていたからなお更だった。
またなにもしてあげられなかった。あたかも敗色濃い戦場でつぎつぎと仲間を失うような、どうしようもない無力感に襲われた。
こうした体験はわたしだけではなくいろいろなひとびとを苦しめる。「町を歩くのが好きで、年中、どこかを歩いている。ひとりもいいし、気の合った仲間ともいい。けれども、東京を歩くのは楽しいばかりとは言えないのがつらい。」
作家井上明久はこんなことを書いている。
「美しいものがいともあっさりと消えていく。残したいものがいとも無残に壊されていく。そうしたあってはほしくないことが平然とあるのが東京という町であり、そこに東京を歩く者の悲哀がある。けれどもまた、そうであるが故に荷風の言う「寂しい詩趣」を感じることも事実である。パリやヴェネツィアなどといった町にはない、こんな皮肉で逆説的な感情が起こるのも東京という町なのだ」(朝日新聞夕刊文化面2004年1月17日)わたしたちの東京は、逆説的感情でしか美しいもの、残したいものを観賞できない町なのだろうか。これは受け入れなければならない東京人の定めなのだろうか。
パリができてなぜ東京ができないのか。
いくつものやり場のない感情がこみ上げてくる。
わたしは、友人の作家青野聰が「神楽坂まちの手帖」創刊号で嘆いていたエッセイを思い出す。いま中国では激しい勢いで路地が消滅していることにふれた文章である。
アジアはどうやらどこでもそうである。経済が高度化する時は、人間はだれでも金という魔物にめくらんでしまう。そうなら、わたしたちが古いものにひかれていくのは、衣食足って礼節を知る類なのだろうか。
東京に抱くこのような感情はどうやら現代人のみのものではなかったようだ。
永井荷風は、大正4年に発表した「日和下駄」でこう述べている。
「今日看て過ぎてきた寺の門、昨日休んだ路傍の大樹もこの次再び来る時には必ず貸家か製造場になっているに違いないと思えば、それほど由緒のない建築もまたそれほど年経ぬ樹木とても何とはなく奥床しくまた悲しく打仰がれるのである」井上がいう「逆説的な感情」は、荷風のこうした感情を指している。
最後に井上の結論を紹介しておく。でないとなにやら気分が落ち込んでつらいままになる。
「喪失がもたらす悲嘆と恋着。そんな二つながらの思いを抱きつつ、東京という町を歩いている。そして有り難いことに、東京は見るべきものがまだまだいっぱいある」そんなことばをよすがとして、わたしたちは神楽坂を、新宿を、東京を歩き、見ていこう。

坂道紀行@へ 坂道紀行Aへ 坂道紀行Bへ